令和7年10月29日(水)
「福岡・民放テレビ物語part1」を
実施しました。
「福岡・民放テレビ物語part1」を
実施しました。
講師は校区住在の牧野茂さんです。
part1は敗戦後のラジオ時代から、テレビ開局
part1は敗戦後のラジオ時代から、テレビ開局
の直前までをたくさんの資料と共にお話いただ
きました。
福岡タワーの建設についての話では、アナログ放送
時代の様々な不安定な映りによるクレームを、解決
をするため、受信環境の整備が必要となり、各局の
送信アンテナを、一か所に集中することになったと
いうお話を聞くことができました。
電波法では、電波は有限な資源の為、混信が生まれない
ように個人でも団体(企業)でも国の免許が必要で
5年毎の免許更新が必要となるそうです。
ように個人でも団体(企業)でも国の免許が必要で
5年毎の免許更新が必要となるそうです。
ラジオの開局は昭和26年(1951)RKBで、九州・福岡で
最初。全国4番目でした。
さらに、昭和29年(1954)には、KBCが開設されました。
さらに、昭和29年(1954)には、KBCが開設されました。
日本の民放テレビの導入は昭和24年(1959)頃から
アメリカ主導で進められてきました。
アメリカ主導で進められてきました。
昭和28年(1953)NHKが国内初のテレビ放送を東京で
開始。民放ラジオの放送開始からわずか2年後でした。
開始。民放ラジオの放送開始からわずか2年後でした。
他国では、1934年にはソ連が本放送を行ったとの説が
あるそうです。本放送はドイツ・イギリス・アメリカ
へ広がって行きドイツでは、ベルリンオリンピックの
中継が行われました。
30年前は互いに違う方向を向いていたアンテナ
が令和の今はアンテナ1個が普通の景色になりました。
が令和の今はアンテナ1個が普通の景色になりました。
現在、回線は電波から光ファイバーに交代しており
全国で見られた鉄塔も不要となり次第に姿を消して
全国で見られた鉄塔も不要となり次第に姿を消して
います。
時代の移り変わりを感じる講座でした。
興味深いお話をありがとうございました。